【羽生結弦の家族構成】両親の顔画像!父親は校長で母親や姉は美人で仲良しエピも | Mamaicchi

【羽生結弦の家族構成】両親の顔画像!父親は校長で母親や姉は美人で仲良しエピも

男子フィギュアスケート界で、2013年~2018年の5シーズン連続1位を獲得されている羽生結弦さん。

そんな羽生結弦さんを、幼少期から支えてきたご家族はどんな方だったのでしょうか?

この記事では、羽生結弦さんの家族構成や両親の職業などをご紹介させていただきます。

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羽生結弦の家族構成

羽生結弦さんの家族構成はこちらになります。

  • 父親
  • 母親
  • 羽生結弦さん

羽生結弦さんの家族構成は4人家族にります。

では、ご家族とのエピソードを見ていきましょう。

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羽生結弦の父親

羽生結弦さんの父親のご紹介です。

  • 羽生秀利(はにゅう ひでとし)
  • 年齢:50代
  • 出身地:宮崎県仙台市

羽生結弦の父親の職業

父の羽生秀利さんの職業は、教師になります。

調べてみると2016年から、宮城県多賀城市塩釜市立第三中学校の校長を務めています。

2020年の資料で、「教育実践研究論文助成金贈呈者」の欄に羽生秀利さんの名前がありました。

父の羽生秀利さんの教員の経歴はこちらです。

  • 2014年3月:宮城県石巻市立湊中学校 教頭
  • 2014年4月~2016年3月:宮城県宮城郡利府町立しらかし台中学校 教頭
  • 2016年4月~:宮城県多賀城市塩釜市立第三中学校 校長

教員時代は数学と教員時代は数学と技術家庭科を担当し、野球部の顧問として精力的に部活動を指導していたそうです。

羽生結弦と父親とのエピソード

羽生結弦さんと父親とのエピソードをご紹介します。

  • 父親は息子に野球をさせたかった
  • 父親が遅くなると送迎していた
  • 父親は厳格な性格
  • 金メダルを獲得したときの父の言葉
  • 自主性を尊重した教育

では見ていきましょう。

父親は羽生結弦さんに野球をさせたかった

羽生結弦さんは喘息を治すことが目的でスケートを始めたのがきっかけだったそうです。

ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、結弦にピッタリのスポーツでした

しかし、父親は野球部の顧問も務めていて、本当は野球を息子にさせたかったそうです。

父親の妹が語っていますね。

本当はゆづに野球をやらせたかったんです。

小学校3~4年生の頃、スケートの練習が少し嫌になっていたゆづに、兄はこう言ったそうです。

『野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ』と」

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41840

しかし喘息の症状が改善に向かっていたこともあり、父親からのスケートを辞めても良いという提案に一時は心がゆらぎましたが、「スケートを続ける」決意をしました。

父親が息子を送り迎えしていた

羽生結弦さんは、幼少期の頃からフィギュアスケートを練習する日が毎日続きました。

練習を熱心にするあまり、帰宅が深夜になることもあり、そんな時に迎えにきてくれていたのが父親でした。

厳格な性格の父親だった

父親は仙台の中学校で校長を務めていますが、厳格な教育者だと言われています。

羽生結弦さんの才能と努力を認めつつも、決して甘やかすようなことはなかったとか。
 
そんな父親が、息子に何度も言い聞かせていた言葉があったといいます。

「どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強は続けなさい。

将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」

父親から教わった「人生の指針」たったそうです。

また父親は、フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ」と羽生結弦さんに常日頃言っていたようで、遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していたそうです。

父親の断固とした指針があり、現在の羽生結弦さんの姿があるのでしょう。

また、辛い時も素直にスケートに突き進んでいる姿は素晴らしいものがありますね。

羽生結弦が金メダルを獲得した時の父親の言葉

 

羽生結弦さんの両親はインタービューにも応じず、あまり表舞台にも登場したことがありませんでした。

また、父親の秀利さんは、スケートに対しても口出しをしなかったそうです。

ゆづに『もっと頑張れ』、『もっと練習しろ』とは言わず、一歩下がって、『おっ、頑張っているな』と声をかけて、見守るというのが、兄のスタンスでした。

また、両親が表に出ない理由についても語っています。

「結弦の両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えからなんです。

五輪で金メダルを獲得しても『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていましたね。

控え目で多くを語らない、東北人の気質を持った両親だそうです。

自主性を尊重した教育

また、羽生家の教育方針は、あるときは密接で、あるときは突き放すという教育をされていました。

子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する子供の自主性を尊重していたそうですね。

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羽生結弦の母親

羽生結弦さんの母親のご紹介です。

  • 羽生由美(はにゅう ゆみ)
  • 年齢:非公開
  • 出身地:宮崎県仙台市

羽生結弦さんの母親は専業主婦で家庭を守ってこられてています。

とても美人なお母さんで、羽生結弦さんは母親似ですね。

羽生結弦と母親とのエピソード

羽生結弦さんと母親とのエピソードはこちらです。

  • 男子フィギアをやらせようとは思ってなかった
  • 母親は息子のスケート衣装を手作りしていた
  • 栄養管理をし息子を支えてきた
  • スタイルの良さは母親の家系
  • 携帯、恋愛禁止令を出すほど教育熱心

では、見ていきましょう。

男子フィギュアをやらせようとは思ってなかった

 

最初は、父親も野球をやらせたかったように、母親も男の子がフィギュアをやらせようとは思っていなかったとインタビューに答えています。

だからもうスケートね、お姉ちゃんがやった時に「自分もやりたいやりたい」って言ってしょうがなく

ねえ、まさか男の子でフィギュアをやらせようとは最初思ってなかったんで。

うん。こんな風になるとは思わなかったですね。

現在では、息子がここまで成長している姿は嬉しいですね。

息子のスケート衣装は手作りだった

2015年当時では羽生結弦さんの家族は、県営住宅で仙台駅から車で20分ほどのところに住んでいました。

父親が公務員で貧しくはないけど、カネ持ちというわけでもないく、家賃5万円でつつましく暮らしていましたそうです。

羽生結弦さんのスケートの衣装は母親が手作りしていたそうです。

フィギュアは、靴や衣装、リンク代など、ものすごくおカネがかかるスポーツです。

家族の協力なしにはできません。羽生家は。節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41840

上記の画像は、2012年の世界選手権の男子フリーでの画像ですが、母親の手作りだったのでしょうか?

栄養管理をし息子を支えてきた

高校3年生の17歳の時に、父親と姉を地元仙台に残し、カナダ・トロントに移住し母親と2人で移住ています。

異国の地で、母と羽生の二人の生活が始まります。

母親は結弦さんの栄養を考えて食事に気を遣っていたといいます。

カナダは肉料理が多いのですが、結弦は食が細いので、外食で胃がもたれることもあった。

そこで、お母さんは家で消化の良い鍋を食べさせるなど、結弦の健康管理には相当気を遣ったみたいです

献身的な母親の支えがあり、カナダでの生活が軌道に乗ると、羽生結弦さんはオーサーの指導をどんどん吸収し、メキメキと腕を上げていったようですね。

羽生結弦のスタイルの良さは母親の家系?

羽生結弦さんのスタイルの良さは母親の家系とも、父親方の叔母が語っています。

ゆづの運動神経と、あの体型は奥さん譲りでしょう。

うちの家系は野球好きですが、運動が得意な家系ではないし、手足も長くないですから(笑)」(叔母)

引用元:羽生家の家訓

羽生結弦の成績が悪いと禁止令を出す?

羽生結弦の母親は羽生結弦さんの成績が悪いと禁止令を出していた情報もありました。

羽生結弦の成績が悪くて大会出場が危うくなったときには、スケートに集中させるために、「恋愛禁止令」「携帯禁止令」禁止令があったそうです。

親としても厳しいことは言いたくなかったかもしれませんが、息子のことを思ってのことだったのでしょうね。

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羽生結弦の姉

羽生結弦さんの姉のご紹介です。

羽生結弦さんには、4つ年上のお姉さんがいます。

  • 名前:羽生さや
  • 生年月日:1990年
  • 年齢:4歳年上
  • 出身地:宮崎県仙台市

姉の職業

羽生結弦さんの姉の職業は、羽生結弦さんのホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いていそうです。

2015年の「羽生家の家訓」に掲載されていた情報なので、現在も働いているのかどうかはわかりませんでした。

4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41840?page=2

羽生結弦と姉とのエピソード

羽生結弦さんと姉とのエピソードはこちらです。

  • 姉の通うスケートリンクに付いていったことがきっかけ
  • スケートの道を羽生結弦に譲る

では見ていきましょう。

姉の通うスケートリンクに付いていったことがきっかけ

スケートを始めたのは4歳の時で、お姉さんが通うスケート教室に付いていったのがきっかけでした。

元々は喘息を治すことが目的だったようで、羽生結弦さんは体幹がしっかりし、何度転んでも起き上がってきて、当時から芯の強さや、負けず嫌いなところがありました。

「お姉ちゃんができるなら僕にだってできる」と言って、果敢にジャンプやスピンに挑戦していたそうです。

姉は弟にスケートの道を譲る

羽生結弦さんの家は進学、またスケートでお金がかかるなどで経済的理由で姉弟2人にフィギュアスケートを続けさせることは出来なくなる危機が訪れました。

羽生結弦さんは、姉に「僕がスケートを辞める」といったそうでが

結弦が辞めるくらいなら、自分が辞める

と姉はいい、羽生結弦さんにスケートを譲り、続けることになります。

その後、お姉さんも高校まではフィギュアを続けました。

とても弟の才能に希望を託し、姉は身をひいた形になりましたが、羽生結弦さんの活躍は一番嬉しいのではないでしょうか。

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まとめ

羽生結弦さんの家族構成(父親・母親・姉)についてご紹介しました。

実績を上げている羽生結弦さんには、家族全員で羽生結弦さんのことを応援している姿があり、努力だけではなく、家族の支えがあってこそだと感じました。

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