梶山弘志の家族構成は?両親父の静六や母、妻や娘は誰?学歴のまとめ

梶山弘志の家族構成は?両親父の静六や母、妻や娘は誰?学歴のまとめ

こんにちは、ままいっちです。

安倍晋三首相は25日、菅原氏は、地元有力者の通夜で公設秘書が香典袋や供花を渡したと問題になり辞表を提出しましたね。

その後任に、梶山弘志議員に決定されました。

梶山弘志議員の家族、学歴、自宅など、調査してみました。

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梶山弘志氏のプロフィール

名前:梶山弘志(かじやま ひろし)

生年月日:1988年8月17日

年齢:64歳(2019年10月現在)

出身地:茨城県常陸太田市

所属政党:自由民主党

趣味:スポーツ観戦、野球、サッカー、読書

当選回数:7回

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梶山弘志氏の家族構成

梶山弘志氏の家族構成をまとめてみました。

梶山弘志の家族は、妻:由可子さん、娘が3人、母:春江さんの6人家族になります。

梶山弘志氏の父

梶山弘志さんの父は梶山静六氏で、元内閣官房長官(第60代、第61代)歴任されました。

【1926年~2000年】政治家

陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業

日本大学工学部土木工学科卒業

2000年1月30日に交通事故に遭われてから、体調を崩し3か月後の4月25日に政界引退を表明されました。

同年6月6日に74歳で亡くなられています。

梶山静六氏の名言があります。

引用元:https://fujita-kenji.net/link/

兵庫県内視察の中で訪問した養父市に、我が郷土の偉人である元官房長官の梶山静六先生の名言が、地元・書道家の達筆により額装されていました。

「常に志しは高く 仕事は活発に されど普段は質素に」と書かれており、先代の梶山静六氏らいしい素晴らしい言葉で、普段は市長室に掲げられているともありました。

 

その他の名言もさまざま残されていました。

「私は10人兄弟。母は女手一つで私たちを育てた。その苦労は相当なものだったと思う。母の一番の思い出は、兄が戦死した時に3日3晩泣き通しだったあの姿。その時、『貧しくても粗食でもいいから、一家そろって食事をすること、ささやかだがそれが幸せなんじゃないか。兄を母から奪った戦争は絶対に嫌だなあ』と思った。もう2度とあの戦争に戻っちゃならない。戦争はダメだ」


などと名言集として記されています。

とても皆に尊敬される偉大な方だったんだな~と感じました。

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梶山弘志さんの妻

梶山弘志さんの母は、由可子さんといいます。

由可子さんの情報は現在はなく、名前だけがわかりましたので、追記していきたいと思います。

梶山弘志さんの娘

娘さんについても、3人いらっしゃるようですが、一般の方のようで追記していきます。

梶山弘志さんの母

梶山弘志さんの母の名前は、春江さんといいます。

故、梶山静六さんの妻になります。

夫人に口癖で

「戦争は悲惨だ、絶対やっちゃいかん」といっていたようで名言として言われています。

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梶山弘志氏の学歴

梶山弘志の学歴のご紹介になります。

梶山弘志氏の小学校

梶山弘志さんの出身小学校は、太田小学校になります。

梶山弘志氏の中学校

梶山弘志さんの出身中学校は、太田中学校になります。

梶山弘志氏の高校

梶山弘志さんの出身高校は、茨城県立太田第一高校になります

梶山弘志氏の大学

梶山弘志さんの出身大学は、日大法学部法律学科に進学されました。

大学の時に茨城県を離れています。

偏差値は37.5 – 67.5と高い大学になります。

大学を卒業後は、昭和54年動力炉核燃料開発事業団(現:日本原子力研究開発機構)に入社します。

昭和60年同社を退職、梶山静六代議士をサポートするために梶山静六秘書となる。

昭和63年に自ら会社(非金属鉱物専門商社)を設立。

その後、中小企業経営者として、実社会からの視点を政治に反映させることの必要性を感じ、立候補を決意。

平成12年衆議院総選挙で茨城県第四選挙区から初当選を果たす(現在、7期目)

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梶山弘志氏の世間の評価やコメント

さまざまな世間の厳しいコメントもありあました。

 

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まとめ

梶山弘志氏の家族、学歴、経歴などをまとめてみました。

世間のコメントも色々ありますが、これからのご活躍を拝見したいと思います。

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