こんにちは、ままいっちです。
今、競艇選手の中で賞金王でも有名で大活躍している、吉川元浩さん!!
あるきっかけでボートレーサーになったのですが、最初からなろうとしていた訳では、ありませんでした。
吉川元浩さんの家族のまとめ!
嫁や2人の息子の顔画像も!
賞金王で年収はいくら?
ご紹介せていただきます。
目次
吉川元浩さんのWiKiプロフィール
名前:吉川 元浩(よしかわ もとひろ)
ニックネーム:ゲンコー
出身地: 兵庫県
生年月日:1972年9月7日
年齢:46歳
血液型:O型
身長:164cm
体重:50kg
デビュー日:1996年11月17日
所属:兵庫支部
登録番号:3854
登録期:79期
級別:A1級
特徴:自在
出身高校:兵庫県立兵庫工業高等学校
好きな食べ物:お肉、魚
趣味:釣り
休日の過ごし方:ペラ修理と趣味の釣りをされているようです。
吉川元浩さんの経歴
吉川元浩さんの、ボートレーサーになったきっかけは?
吉川元浩さんのボートレーサーになったきっかけは、兵庫県兵庫工業高等学校を卒業されてから、兵庫県内の建築会社に勤務していたようです。
そして、阪神大震災に被災になり、会社の同僚から競艇選手への道を勧められたそうです。
その同僚の一言すごいですね!
普通ではボートレーサーとは、あまり浮かばないですが、競艇が好きだっのでしょうか?!
22歳で試験は一発合格する
全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現在は、やまと競艇学校に移転)に受験されました。
みごと1回で合格され、受験時の年齢は22歳で当時年齢制限の上限だったようです。
(引用元:wikipedia)
建築会社に勤務されている時は、まさかボートレーサーに自分がなるなんて、夢にも思っていなかたでしょうね!
そして人生も変化されました!!
すごいです。
吉川元浩さんの経歴がすごい
1996年11月17日の初出走は地元尼崎競艇場で開催された一般競走2R、1走目でいきなり初1着!!
2001年5月浜名湖競艇場で行われた笹川走競走でSG初優出、優勝戦1号艇で挑むものの5着に敗れる。
以降2007年までSGで8優出する。
2007年、福岡競艇場で開催された第22回賞金王決定戦に初出場。
8回目の優出にして初のSG初戴冠を果たした。
賞金王決定戦初出場初優勝は第1回大会の彦坂郁雄以来21年ぶり2人目の快挙。
この年の賞金ランキングでも同郷の魚谷智弘に次いで2位となった。
2017年4月16日、芦屋競艇場で開催された第8回芦屋町長杯争奪杯で通算70回の優勝。
この優勝により史上17人目の24全会場制覇を果たしました。
吉川元浩さんの成績は?
過去3年間の優勝成績
2017年~現在の2019年7月現在の優勝成績もすごい!!
●2017年 優勝7回
●2018年 優勝8回
●2019年 7月現在 優勝4回
引用元:http://www.boatrace-db.net (艇国DATABANKより)
第46回ボートレースオールスターでも圧倒的に優勝!!
令和最初のSGオールスターは、平成最後のSGクラシックを制しました。
インタビューでは、良い結果だったので、「帰り事故に合いそうですね」って冗談まじりのインタビューでした!!
先頭切って走っている吉川元浩選手!!
もう最初から勝負が決まったような感じでした。
カッコイイ走りを見せてくれましたね~!!
2019年8月からの出場予定は?
8月からの出場予定は、レースがずっと続いていますので、忙しくなりそうですね。
どんなレースを見せてもらえるか、とっても楽しみですね!
吉川元浩さんは賞金王!獲得賞金額はいくら?
吉川元浩さんの獲得賞金額はいくらくらいなのでしょうか?
獲得賞金ランキングでは、第1位なんです。
なんと1億円プレーヤーですね!!
引用元:http://www.boatrace-grandprix.jp
ベスト5位の中でも、1億円稼いでいる方は吉川元浩さん、ただ一人です。
すごいですね!!
吉川元浩さん妻のテレビ出演されていました
バース&ディ 2009年3月19日に放送されました。
とても若い吉川元浩さんが映っています。
そこに、吉川元浩さんの奥様の姿もありました。
競艇界の頂点を目指す戦い
(テレビ内容)
吉川元浩、36歳の頃
彼は、人生のどん底から這い上がり、競艇選手になった。
吉川は高校卒業後すぐに建設会社に就職。
安定したサラリーマン生活を送っていた。
しかし22歳の時、突然の悲劇が吉川を襲う。
阪神大震災で家が全壊、さらに職場にも被害を受け、先の見えない避難所暮らしに変わった。
身も心もボロボロになった吉川が立ち直るために選んだ道は競艇だった。
当時、レーサーになるべく競艇学校に入学する者のほとんどは10代半ばの若者ばかり。
吉川は年齢のハンデを埋めるべく、死に物狂いで訓練に励み、トップクラスの成績で卒業。
96年、念願のプロデビューを果たした。
その結果、デビューから4年でSGに次ぐタイトル、G?レースを制覇。
その大器に周囲は吉川のSG制覇を期待した。
しかし、そこから長く険しい道のりが続く。
何度挑戦してもSGで優勝することはできなかった。
家族はそんな吉川をずっと見守り続けた。
そして、2007年、最大のチャンスが巡ってきた。
日本一の称号をかけたSG・賞金王決定戦。
デビューから実に12年。
幾多の試練を乗り越えてきた吉川は、この大舞台で初めてSGタイトルを掴んだ。
ピットに戻った吉川は、込み上げるものを抑えられなかった。執念でもぎ取ったSGタイトルは、長年自分を見守り続けてくれた妻や子への最高の贈り物となった。
阪神大震災から、競艇選手の道へと進む決意をし、10代半ばの中で一生懸命頑張ってこられて、現在があるのだと。
そして、家族の存在は大きかったでしょうね。
吉川元浩選手の奥様の支えもあり見守り、子供の存在も現在のレース成績にもつながっているのだと、個人的に感じました。
とても素晴らしい波大抵ではできないことだと思い、尊敬します。
まとめ
吉川元浩選手のボートレーサーになるまでのお話に、とても感動しました。 これからも、ご活躍を楽しみにしています。
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