伊勢谷友介さんの父親や母親について調査してみました。
父親はとても男前の方でしたが、離婚歴が6回と多く、とてもモテたようです。
母親はとても綺麗な方で教師をされています。
今回は、【伊勢谷友介】父親のDV癖が発覚で6度の離婚歴も!母親は美人教師で顔画像も
ご紹介させていただきます。
目次
伊勢谷友介さんの父親は山本一男さん
伊勢谷友介さんの父親は似ついて調べてみました。名前は、「山本一男」さんといいます。
結婚歴は7度で、離婚は6度繰り返されています。
山本一男さんは、どのような方なのか見ていきましょう。
山本一男さんのプロフィール
名前:山本一男(やまもと かずお)
職業:紳士服仕立て職人
平成6年71歳で他界されています。
伊勢谷友介さんと父親の家系図
山本一男さんの家系図がありますが、6度離婚歴、7度結婚され、結婚と離婚を繰り返されています。
・1回目の結婚
山本寛斎さんが生まれています。
(兄弟は男3人)
山本寛斎さんとは、異母兄弟になります。
・6回目の結婚
伊勢谷友介さんが生まれています。
1~2歳年下の一般の妹さんもいらしゃいます」。
伊勢谷さんの妹
伊勢谷さんには妹さんがいて、歳は1~2歳の差があり離れています。
一般の方で、名前や画像はありません。
妹さんは現在、オーストラリアに住んでおり、子供さんがいらっしゃいます。
その時、妹さんの自宅に行った時に、甥っ子と妹宅の愛犬と撮った写真だそうです。
伊勢谷友介さんの父親の山本一男さんは妻にDV癖も?
伊勢谷友介さんの父親の山本一男さんは、戦後、親戚のもとで家で弟子入りし、紳士服仕立て職人の仕事を始めました。
妻に暴力をふるうようになる
山本一男さんの父親である山本男寛(だんかん)さんが亡くなった頃から、次第に暴力を妻にふるうようになってきたといいます。
父親が亡くなったのは、昭和23年 52歳で他界され、仕事は製糸業、機械抄き技術者をされていました。
昭和26年には、一方的に離婚届けをつきつけて、愛人と再婚されます。
その後も、結婚と離婚を繰り返し家族を顧みなかったそうです。
紳士服仕立て職人の腕は天才的だった
しかし、私生活とは裏腹に、紳士服仕立て職人としての腕は、天才的だったそうです。
岐阜で紳士服メーカーの工場長にスカウトされ、一男さんが作ったスーツは、昭和33年のコンクールに出品し、名古屋通産局長賞しました。
伊勢谷友介さんの母親は教師
伊勢谷友介さんの母親の名前は、伊勢谷尤子(いせや ともこ)さんといいます。
伊勢谷友介さんは、父親が53歳、母親が40歳の時に生まれています。
仕事は教師をされていて教育熱心だったそうです。
当時の母子健康手帳を伊勢谷さんはインスタグラムにあげていました。
母親から「私もいつどうなるかわからないから」と渡されました。
とても昔の母子手帳ですが、記録を見ると、その時の思い出がいっぱい詰まっていますね。
伊勢谷友介さんの母親は離婚し母子家庭に
そして、伊勢谷さんの母親は、伊勢谷さんが3歳の時に離婚しています。
離婚後は、母親の実家のある北海道函館市で妹と一緒に移り住むことになります。
母親は伊勢谷さんに愛情たっぷりそそぎ、祖父母とも一緒に暮らしており、愛情もたっぷり受けて育ったため母子家庭でも寂しさはあまりなかったようです。
12歳の時から英語教室に通わせていて、教育熱心な母親でした。
教育は、途中で投げ出すことを許さず、また勉強は強制的にはさせず、伊勢谷友介には自由に学ぶことをさせた母親だったそうです。
そして、伊勢谷さんを、大学院まで出したり、母親のすすめで留学経験があることからも、とても教育熱心が伺えますね。
「お父さんは、人に望まれることをあまりしてこなかった。」ということを母から聞いて興味を持った。
伊勢谷友介さんは、30歳を過ぎて自分の中で認識してきた自分の問題は父からの何かにあるのでは?と、初めて墓参りに行ったそうです。
山本寛斎さんが亡くなった時の言葉をインスタであげれています。
まとめ
【伊勢谷友介】父親のDV癖が発覚で6度の離婚歴も!母親は美人教師で顔画像も
ご紹介させていただきました。
父親の結婚歴7回と、出会いがあったことにも驚きましたが、女性から見ても魅力的な男性だったのかもしれません。
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