こんにちは、ままいっちです。
清野とおるさんについてまとめてみました。
ちょっと壮絶な保育園時代の驚きでした!
清野とおるの学歴|出身小学校、中学校、高校はどこ?
保育園は虐待されていた!?
ご紹介させていただきます。
目次
清野とおるさんのプロフィール
名前:清野とおる(せいの とおる)
本名:清野通
生年月日:1980年3月24日
年齢:39歳(2019年11月現在)
趣味:徘徊・尾行・貸本漫画の収集
清野とおるさんの学歴まとめ
清野とおるさんの学歴はどこなのでしょか?
出身小学校、中学校、高校、大学をまとめてみました。
清野とおるさんの出身小学校
清野とおるさんの出身小学校は、板橋区立志村第四小学校になります。
1986年に入学されています。
小学校2年生の時に近所の神社に虫捕りに行った時、木陰から現れた全裸の男の射●を目撃したそうです。
ちょっと小学校からこの話題が面白かったです。
清野とおる、小学一年生。思えばこの頃から人生ナメておりました(⌒▽⌒) pic.twitter.com/i348CkGwbP
— 清野とおる (@seeeeeeeeeeeeno) March 29, 2014
小学校3年生の時には、ブリーフしか履いてない変態男と路地で遭遇し、一緒に公園で走り回って遊んでいたそうですが、男が公園の滑り台の上で全裸になったので、通行人に目撃され逮捕され、その男が逮捕され連れ去られたことが鮮明に覚えているようです。
ちょっと、下ネタが多いですが、このころから漫画家になる感じががしますね~
清野とおるさんの出身中学校
清野とおるさんの出身中学校は、板橋区立志村第二中学校になります。
1992年に入学されました。
中学校時代は、給食で残ったヨーグルトを何を血迷ったか神としてトイレに祭って、新興宗教「ヨーグルト教」を開祖していました。
なんか、発想が面白すぎです!!
他のクラスまで広がり、信者ができ、拡大して清野さんは「教祖」としての存在になって天狗になっていたとか。
そこから先生にバレてしまい、ヨーグルト教は崩壊になりました。
清野とおるさんの出身高校
清野とおるさんの出身高校は、成立高等学校を卒業されました。
入学は1995年になります。
高校2年生の秋に、赤羽駅で轢死体を目撃します。
死体より死体にショックを受けた乗客の嘔吐物のほうが気持ち悪ったと語っています。
高校時代には「VOW」に投稿し、「フランス床屋ナポレオン」ネタが『VOW9』(1997年)に掲載(セイノトオル名義)
『VOW23』では「VOWと俺」という自伝的エッセイ漫画を寄稿している。
高校在学時の1997年に処女作となる「猿」を『週刊ヤングマガジン』に投稿して月刊奨励賞
その後、1998年に「ヤングマガジン増刊青BUTA』に掲載された「アニキの季節」(清野通名義)で漫画家デビューする。
しかし、『ヤングマガジン』ではネームがまったく通らなくなったので、「週刊ヤングジャンプ」に移籍し、多くの読切作品を発表する。
清野とおるさんの出身大学
清野とおるさんの出身大学は、公開されていませんでしたので、追記したいと思います。
大学時代のエピソードは
大学在学中に、「青春ヒヒヒ」
「ハラハラトキドキ」
2002年全2巻を連載したが、半年で打ち切りられます。
そして連載を失って、「実家にいるのが、いたたまれなくなった」という理由から、実家のある東京都板橋区志村から、隣町の東京都北区赤羽に引っ越ししました。
2003年冬から一人暮らしを初め、赤羽で出会った人たちや体験したことが、清野さんの創作活動に大きく影響を与えました。
清野とおるさんの漫画が売れるまでの経歴
集英社との専属契約が2006年に切れ、他社い持ち込みを行うが漫画家と人格を否定され続け、「ゴミクズ同然の扱い」を受けたといいます。
それでも持ち込みを続け、小学館の編集者に見出されるが、ネームはボツが続きました。
漫画家を続けていく自信を失ってしまいながらも自分の作風を模索するスランプの時代を送ります。
清野自身この時期を「漫画の海の中でブクブク溺れているような状態だった」と振り返っている。
その後、「週刊ヤングサンデー」を中心に数多くの不条理ギャグ短編を発表するが、同誌の休刊により無収入状態になったそうです。
漫画が売れるまで、大変だったようですね。
不本意なアルバイト生活を送りながら『東京都北区赤羽』の原型となる赤羽を舞台にしたエッセイ漫画を出版社に持ち込みましが・・・
「一般人やホームレスの写真は載せられない」という理由で全てボツになり、本気で漫画家を諦めかけるも、個人ブログに赤羽ネタを連日のように綴り一部で話題になりました。
そして、清野のブログがBbmfマガジンの編集者の目に留まり、「ケータイ漫画王国」にて、同年12月から「東京都北区赤羽」を連載開始します。
単行本8冊を刊行。20万部以上を売り上げ、NHKなどさまざまな番組で特集を組まれる。
清野とおるさん保育園は児童虐待だった
板橋区の保育園に通っていたそうですが、平然と行う園長と従属する副園長によって支配された「地獄保育園」だったそうです。
引用元:https://usurabaka.exblog.jp/8136775/
自身のブログにも掲載されています。
園長は60過ぎの白髪ババアで、鈴木副園長は50歳くらいの図体のデカい怪力ババア。
園長の命令にヘコヘコと従う、権威主義者だった。
この二人は園児の事を『玩具』としてしか見ておらず、暴力は日常茶飯事。
言うことを聞かない園児は、縄でグルグル巻きにされたり、
下半身だけ裸にされ立たせたり、挙句の果てにはニワトリ小屋に閉じ込められたりと、
精神的にもかなりキツイ仕打ちをされたものだ。
引用元:https://usurabaka.exblog.jp/8136775/
園長と副園長のターゲットは園児だけに留まらず、若い保母さんもその餌食となった。
よく朝礼の時に、皆の前で大声でののしられ、泣いてしまった保母さんを
園児が励ます光景を覚えている。
見覚えのない言いがかりで頭を強く押し付けられて謝らせたりなどは日常茶飯事でした。
数多くのトラウマを残した「地獄保育園」は卒園の数年後に派手に潰れ、その後は園長も亡くなるが、葬儀の参列者は興味本位で見に行った同級生の母親含めて2人だけだったという。
本当にこんな保育園が存在してるのは驚きました!!
まとめ
とても、保育園は、考えられない児童虐待保育園で驚きましたが、清野とおるさんの幼少期から学生時代のことが、とても漫画家として経験としても活かされてるのではないかとも感じました。
これからは、壇蜜さんとご結婚されて新しい人生のスタートとしも、楽しみですね。
おめでとうございます。
関連記事はこちらから!
コメントを残す