中村哲医師の妻は尚子で子供5人!顔画像や名前も!家族のまとめ

中村哲医師の妻は尚子で子供5人!顔画像や名前も!家族のまとめ

こんにちは、ままいっちです。

アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで、現地で医療支援などの活動を続ける日本人医師中村哲医師が銃撃され、亡くなられました。

中村哲医師はご結婚されていたのでしょうか?

妻や子供何人?いらっしゃるのでしょうか?

ご紹介させていただきます。

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中村哲さんは結婚しています

中村哲さんは結婚されてるのでしょうか?

ご結婚されていて、妻と子供がいらっしゃいます。

子供は5人いらっしゃるそうです。

子供さんも、成人になり互いに道を歩んでいることと思いますが、今回報道があったのは、妻と三女の詳細でした。

中村哲さんの妻

写真:左

名前:中村尚子

年齢:66歳

今回の訃報をうけ

「悲しいばかりですよ。残念です。きょうみたいな日がこないことだけを祈っていた」と涙を拭いながら語ったそうです。

「場所が場所だけにあり得ると思っていた。家にずっといてほしかったけど、本人が(活動に)懸けていたので……」とも言っていて、

中村さんが11月下旬まで2週間ほど帰省していたことを振り返り

「家では厳しくなかった。いつもさらっと出て行ってさらっと帰ってくる人だった」としのんだそうです。

中村哲さんの子供

中村哲さんの子供は5人いらっしゃるそうです。

長女:長女秋子さん

年齢:39歳

 

三女:幸さん

年齢:27歳

襲撃の一報に触れた直後

「これまでの活動で銃撃されたのは初めて。いつ起きてもおかしくはないと覚悟していたが……」と落ち着かない様子だった

と語られています。

参考:日本経済新聞

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2019年4月ごろ、中村哲さんの背後にはガンベリ砂漠から変わった耕作地が広がる

尚子さんや親族によると、中村さんの帰国は年に4回ほど。

最近では11月に約2週間、長男家族と2世帯で暮らす自宅に戻り、孫たちと遊ぶなどいつもと同じように過ごした。

同29日にアフガニスタンに向け出発。

尚子さんは「普段通り、行ってらっしゃいと送りだした」という。

銃撃事件の連絡は4日昼すぎ、福岡市のペルシャワール会から電話で入った。

当初は命に別条はないと聞き「まずはほっとしていた」。

ところが夕刻になって事態の急変を知らされた。

「どういう地域で活動しているのかは分かっているし、いつも家にいてほしいとは思っていた。

ただ本人は活動に懸けているので強く反対するわけにいかず、見守っていました」

そう、絞り出すように語った。

参考:西日本新聞

2019年12月11日に葬儀をされます。

首都カブールの国際空港で7日にアフガニスタン政府主催の中村さんを見送る式典が、ガニ大統領も出席して開かれました。

式典の後、妻の尚子さんと娘の秋子さんとともに帰国の途に就き、ドバイを経由して8日午後に成田空港に到着しました。

空港では外務省の職員や関係者が見守るなか、鈴木外務副大臣や中村さんの家族によって花が手向けられ、黙祷(もくとう)が捧げられました。遺体は9日、中村さんが現地代表を務める国際NGO(非政府組織)団体「ぺシャワール会」の本部がある福岡県へと運ばれます。

また、告別式は11日に福岡市内で執り行われる予定です。

 

覚悟していたとしても、とてもご家族は驚かれているのが、悲しみが伝わってきます。

こんなに優しくて、アフガニスタンに想いを寄せ一生懸命自分の人生を注いていた方なのに、本当に残念でなりません。

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中村哲医師の経歴や実績

九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任しました。

引用元:http://fukuoka-prize.org/campaign/2013/ttnakamura/01.php

転機は、まだ日本の病院に勤務していた1978年、パキスタンとアフガニスタンをまたぐヒンズークシュ山脈への登山隊に医師として参加したときのこと。

引用元:http://www.peshawar-pms.com/acts/med_index3.html

ヒンズークシュ山脈に生息する珍しい蝶への興味もあり登山隊に加わった中村さんでしたが、現地で目にしたのは山岳地帯に生きる人々の厳しい現実でした。

医師がいるという噂を聞きつけ、救いを求めてやってきた人々に対し、何もしてやれず、はがゆい思いをしたという中村さん。

6年後の1984年、パキスタンへの医師派遣の話が舞い込んだときは、妻と幼い子どもがいましたが、ペシャワールで医師として働くとこを決意します。

赴任後は、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療にあたる傍ら、難民キャンプや山岳地域でのアフガン難民の一般診療にも従事。1986年からは、アフガン難民への診療を本格的に開始します。

1991年には、ダラエヌール(アフガニスタンの東部山岳地帯)に最初の診療所を開設

引用元:http://www.peshawar-pms.com/acts/med_index3.html

1998年には恒久的な基地病院としてPMS(ペシャワール会医療サービス)病院をペシャワールに建設。

以来、東部山岳部の3診療所を中心に、山岳無医村での医療活動を行ってきました。

中村さんが赴任した頃のアフガニスタンは、政府に対する武装蜂起、他国による軍事介入、内戦という、極めて混乱した時代でした。

それは、とりもなおさず、そこに生活している普通の人々の苦難に他なりません。

彼らは、紛争により土地を奪われ、難民キャンプや山岳地域へ逃れるしかありませんでした。

そんな人々の目線に立ち、治療に従事していた中村さんでしたが、パキスタン政府からは事実上の診療所閉鎖要求を受けたり、用水路工事など医療以外の仕事が増えたことによる、医療職の人材流出など、その道のりは苦難の連続でした。

紛争により診療所が閉鎖へと追い込まれながらも、延べ73,000人を診療し続けた中村さん。

現在は、軸を医療から灌漑事業などに移していますが、地元団体に譲渡されたPMS病院では、今もなお多くの患者を治療しているだけでなく、女性を含めた現地スタッフの医療教育にも重点を置いた活動を行っています。

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中村哲さんのプロフィール

名前:中村哲(なかむら てつ)

出身:福岡県大牟田市

北九州市若松区や福岡県古賀市で育った

生年月日:1946年9月15日

年齢:73歳(2019年12月現在)

職業:医師

趣味:登山と昆虫採集

モスクや学校も建設されています。

ドクターナカムラ メモリアルパークもとしても・・・

井戸や水路建設へ

とても水環境のことを考えられていました。

彼らの願は2つだけ!!

自分の故郷で家族と仲良く暮らせること

もう一つは一日3回のご飯が食べれること

これだけなんです!!

と強く訴えかけられていました。

飲み水問題は、本当に大切なことだと実感します。

日本は恵まれている国ですが、まだまだ水事情で困ってる国は沢山あります。

本当に、ここまで国を変えた中村哲医師なのに残念です。

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ネットの声

悲しい話だが英雄で高い評判があっても命が守られる訳ではない事を この事件はまさに示しているのではないかな むしろ英雄は目立つが故に襲撃されるリスクも飛躍的に高まる 抗争や紛争は人の情というものを容易に消し飛ばしてしまえるのだ 中村氏『さえ』狙われるということをNPOは念頭に置いて 自己防衛を改めてしっかりと認識し対策に取り組まねばならないだろう

この方の活動を画面をとおして知りました。
とても素晴らしい活動をされている方だとはっきり覚えています。
速報では命に別状はないということでひとまず安心していましたが、亡くなられたようでとても残念です。
ですが、この方はきっとアフガニスタンでも日本でも語り継がれていくでしょう。
御冥福をお祈りします。

ずっとずっと昔、アフガン戦争の後からアフガンの灌漑について、現地で指導されていたことを知っていました。あれから今までやられていたとは、頭が下がります。
私は今農業に携わっていますが、農業用水の重要性は痛いほど知っています。
空腹を満腹に、そして稼ぐ力と農業は人々の生活を豊かにします。アフガンの人々に伝わって欲しいと、中村医師と同じ日本人として、農業に携わる者として思います。

この度は残念な方を亡くしました。お悔やみ申し上げます。
そして、中村医師が目指したアフガンの復興が進むことを遠くから願っています。

世界のヒーローの中に、日本人がいることに誇らしく思う。中村医師のお陰で何万人と言う人々が救われてきたことでしょう。あなたが歩んできた道を振り替えると、中村医師に救われた様々な人が笑顔で感謝を述べていると思います。食べれないことは難民化し、貧困と病気を呼び、治安悪化を招くと述べられていたのを思い出します。中村医師のすごいことは病気を治すことだけでなく、病気を起こさないために飢えを無くす取り組みをされていたこと。
ほんとうに惜しい人を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたします。

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まとめ

偉大な方で、とても残念で仕方ありません。

心からご冥福をお祈りいたします。

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