佐々木朗希選手、益々成績を上げてきていますね。
そんな佐々木朗希の豪速球の秘訣は?歯並びの良さから?
筋肉についてもすごい!
など、ご紹介せていただきます。
目次
佐々木朗希さんのWiKiプロフィール
名前:佐々木 朗希(ささきろうき)
出身地: 岩手県陸前高田市
生年月日:2001年11月3日
血液型:調査中
年齢:17歳
体重:81kg
身長:189cm
出身小学校:陸前高田市高田小学校(3年生まで)
大船渡市猪川小学校(東日本大震災より転入)
出身中学校:大船渡市立第一中学校
出身高校:大船渡高校
家族構成:母、兄3歳年上、佐々木朗希選手、弟の4人家族
投打:右投げ、右打ち
ポジション:投手
好きなタイプ:福田 愛衣(ふくだ めい)
女子高校生ミスコンで2017~2018でグランプリを受賞
佐々木朗希さんの、兄も大船渡高OBで4番を任されたりと実力がある方で、兄と佐々木朗希選手の二人が青春時代に野球をしています。
また、弟さんは野球はされていないようです。
佐々木投手ってどんな投手?
岩手県大会4回戦の盛岡第四戦で194球を投げた大船渡の佐々木朗希さん
大船渡高校でも高速163キロの右腕投手になります。
7月21日の盛岡四戦は、35年ぶりの甲子園大会出場できるのか!と期待をされていました。
延長12回完投で194球を投げ、前日の一関工との戦いで129球と投げ4日間で323球を投げるほどの、実力ある期待のホープ!!
今回の岩手大会決勝戦は、投げれる状態ではあったかもしれないけど、監督の指示のもと登板回避になりました。
国保陽平監督は「投げれる状態ではあったかもしれないが、私が判断しました。理由としては故障を防ぐため」と、気温も30度近くあり、登板間隔もあり、佐々木投手は心よく了解したといいます。
肉体のダメージも考慮されてのことだったんですね。
残念だったと思いますが、これから野球人生は長い道のりなので、監督の決断正解だったでしょう。
岩手大会の決勝戦の結果は、2対12で花巻東に敗れました。
<日刊スポーツより>
佐々木投手の今の気持ちは?
負けてしまったが、チームメートがすごく頑張ってくれたので誇らしいと思う。
地元メンバーと甲子園を目指してきた
この仲間だったから、乗り越えてこれたことがたくさんあったと思うので、大船渡高校を選んで良かったかなと思う
監督に今日はなげさせないと言われたときの気持ちは?
そうですかと、自分では投げれる感じだったとの質問にも、「はい」と答えられました。
これまでも投げずに負けたことがあった。
自分が投げてたから勝てるわけじゃないので、秋は自分が投げて負けた試合もあるし、しょうがないと思う。
プロ入りの意思は?
ちょっと今は言えない
監督の決断をどう思うか
すごくありがたいと思うし、その分自分も将来活躍したいと思う。
ここまで・・・
将来活躍したいと思うの言葉から、プロ野球入りも楽しみですね!!
巨人や多くのドラフト1位指名するほど高校野球で注目されている佐々木投手です!
岩手県大会準優勝の報告会を校内で行った佐々木投手
引用元:日刊スポーツ (撮影・島根純)
岩手県大会準優勝の報告会を校内で行った佐々木(中央左から2人目)ら大船渡ナイン
運命の時は仲間とともに迎える。大船渡(岩手)の佐々木朗希投手(3年)が26日、同校で行われた準優勝報告会に出席した。
シャンと背筋を伸ばし、真っすぐに全校生徒の顔を見据えた。
ナインとともに登壇すると応援に感謝する千葉宗幸主将(3年)の言葉にじっと耳を傾けた。
「この大会の中で仲間の大切さであったり、あきらめないことの大切さであったり、得た物の大きな大会でした」。
佐々木を含めた選手、国保陽平監督(32)の取材対応はなかったが、誰も下を向かずに胸を張って報告した。
託された思いに応えるつもりだ。
25日の岩手大会決勝では、出場しないまま敗退。
準決勝前に右肘内側に違和感を訴えるなど、さまざまな要因で起用が見送られた。
試合後、コンディションを最優先した温存策に「その分、自分も将来活躍したいと思う」ときっぱり言った。プロで羽ばたくことを願う周囲の期待をのみ込んだ。
その姿に学校も最大限のバックアップを行う。
今後はプロ志望届を提出し、10月17日のドラフト会議を待つ見込み。
日刊スポーツより一部抜粋
佐々木朗希さんの生い立ち
佐々木朗希さんは、陸前高田市出身で、東日本大震災の際に、祖父母と父親を亡くされいます。
当時小学生だった佐々木朗希投手は、家族で大船渡市に引っ越しをします。
小さい頃は、父親の功太さんがキャッチャーとなり、朗希さんと兄の琉希さんも、ピッチャーとバッターを交代しながら、父親と楽しくキャッチボールをされていました。
兄の琉希さんも、まだ小学校6年生で「自分がしっかりしなくちゃ」と思った!
引用元:東海新聞 琉希さん
もともと明るい家族だったので震災によて暗くなってしまうのが嫌で、みんなで頑張りたいと思った。と語っています。
兄の佐々木琉希さんが、父親変わりとなり佐々木朗希さんの指導をしてきました。
兄の琉希さんの指導は厳しかったようで、野球面でも生活面でも、朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。
見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。
母親の陽子さんは可哀想なほどだったと語っていらっしゃいました。
佐々木朗希さんは「大の負けず嫌い」と公言しているように、兄の琉希さんをいつも追い抜きたい気持ちが、現在の佐々木投手まで育てあげたのではないでしょうか?
現在、佐々木は自分の最大の武器である「負けず嫌い」を育んでくれた兄に感謝しているとの言葉!
上下関係が厳しくて、人に迷惑かけたりすると怒られたが、今は優しい。
いろいろ強くさせてもらった。
兄の弟への接し方が、佐々木の生き方を決めた。
中学時代に最速141キロをマークして県内の強豪私学からの誘いはあったが、すべて断り地元の大船渡を選んだ。(一部日刊スポーツより)
佐々木朗希さんは小学校から野球人生
佐々木投手は高田小学校3年生からや野球をはじめ、11年の東日本大震災で被災し猪川小学校に転校します。
大船渡一中学校では、軟式野球部に所属し、中学時代も140キロ以上のストレートを投げるほどの中学校から実力ある少年!
大船渡一中学校では、オール気仙のKWBボールの選抜きチームで、東北大会準優勝しました。
大船渡高校では、1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースで県大会4強!
同年6月には侍ジャパンU-18高校日本代表の第一候補30人に選出されました。
震災で辛い思いも経験されていますが、家族の協力と佐々木投手の負けず嫌いの性格が、粘り強さにもなり、結果も導いていったののだと思いました。
佐々木朗希さん筋肉も身長も成長している
佐々木朗希選手は身長は以前は、身長186cm、体重71kgとあり、とても身長が高い選手になります。
しかし、成長期でもあるのでしょう!!
最近では身長も伸びて、身長は189cm、体重81kgと最新情報になっていて、身長は3cm、体重は10kg増えています。
ガッチリ体型になるために、1日6合のご飯を食べていたようです。
うちは、一日2合しか焚かないので、3日分!!
すごいです!!
普通だったら10kgも太ると、かなり太ったと思いがちですが、以前は痩型で、10kg太って丁度よくなったのですね。
とても筋肉も引き締まっていて、しっかりした体型になりましたね。
イチローも、みんなデブではなく、質の良い筋肉を育てていますもんね。
毎日、毎日練習で投げる二の腕の筋肉もかなり育ってきていると思います。
高校1年の夏の県大会では147キロ
2年夏には、154キロ
U18日本代表合宿では、163キロ
と実績をメキメキ上げてきている佐々木朗希投手!
これからが期待のホープですね。
最速の秘訣はお尻の強化にも関係しているそうです。
筋トレもしながら鍛え上げています。
佐々木朗希さんの歯について
佐々木朗希さんの歯についても、少し検証してみました。
スポーツ選手は歯が命とも言われていますね。
やっぱり、早い投球163キロもの瞬足を投げるには、歯も重要と思います。
歯並びはどうなんでしょう!
引用元:日刊ゲンダイ
歯並びが写真で見る限りでは、整っているとは思えないですが、奥歯の噛みしめはしっかりしているのではないでしょうか?
また、将来はプロ球団入りをすると、歯の矯正とかも検討されるかもしれないですね。
まとめ
甲子園はとても残念でしたが、これからのプロの世界での期待ホープとしてとっても楽しみな佐々木投手!
今後の活躍を是非期待し、応援したいと思います。
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