鬼滅の刃の主題歌を歌っているLiSAさん。
人気が出るまでには壮絶な試練や母親との感動するエピソドが、「金スマ」で紹介されていました。
今回はLiSAの生い立ちが壮絶!幼少期からデビューまで母親とのエピソード
ご紹介させていただきます。
目次
LiSAさんの生い立ち:幼少期からデビュー
- アーティスト名:LiSA(リサ)
- 本名:織部 里沙(おりべ りさ)
- 生年月日:1987年6月24日
- 年齢:33歳(2021年1月現在)
- 出身地:岐阜県関市
- 事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
LiSAさんは岐阜県関市で誕生します。
とっても可愛い女の子ですね。
LiSAさん4歳の時:ミュージカル教室に通う
LiSAさんは幼少期は地元のミュージカルスクールに通っていました。
歌う原点になったのは4歳の時からだったそうです。
とても、笑顔が可愛い女の子ですね。
ミュージカル教室では、「お芝居、踊り、唄」を歌っていました。
幼少期はとても人見知りで、人見知りをなおす為にミュージック教室に通っていたそうです。
家の中では、マイクをもって良く歌っていたそうです。
母親はいつも「上手だね~」って、永遠に褒めてくれていた優しい母親でした。
ミュージカル教室では、先生が台本を書いて楽曲を作ってくれいたようです。
とても面白いが曲を作ってくていました。
楽曲:「ピクルスが耳に挟まったよ」
みんなが食べ物を捨て、ゴミをたくさん捨てるから、神様の周りにいっぱいゴミが集まって神様の耳にピクルスが挟まるととう意味だそうです。
とっても面白い発想の歌を作る先生だったようですね。
また、小学生の時は縄県出身の90年代にブレイクしていた「SPEED」に憧れていたようです。
現在、高い声で歌い続けれるのは、SPEEDの歌を歌いすぎがからでないかとも。
LiSAさんが11歳:単身で沖縄で住む
LiSAさんが11歳の時には、SPEEDに憧れて、小学校5年生でダンススクールに通うために、単身1人で沖縄へ移り住みます。
母親は地元でお店をしていたので、「誰か沖縄に知り合いいない?」ってお客さんづてに聞いていて、「ホームステイ」みたいな感じで、ご家族の世話になっていたようです。
母親は「自分の人生を変えたいなら」って用意してくれた寛大な母親だったようです。
しかし、14歳で岐阜県に戻ってくることになります。
理由はデビューできなかったのが大きなきっかけだったといいます。
LiSAさんが16歳:バンド結成
16歳の高校1年生の時に、パンクロックバンド「CHUCKY」(チャッキー)を結成します。
2010年23歳で、アニメの劇中バンドボーカルとしてデビューします。
こちらでは、可愛いを求めらてていて、パンクバンドをしていたLiSAさんからすると、「かわいいってなんだんだ」と迷ってしまったそうで、可愛いけどカッコイイのは誰かとイメージしたのが、「松浦亜弥」さんだったそうです。
「SPEEDからバンドを得て、あやや」と、イメージが変わっていきました。
LiSAと母親とエピソード
2007年、当時20歳のLiSAさんは、高校卒業後はアルバイト生活をしながらバンド漬けの毎日を送っていました。
高校の時に組んでいたバンド名は「CHUCKY」は、名古屋、大阪でもライブを開催するほどの人気バンドでした。
とても完璧なバンドだったそうで、夢はプロデビューでした。
しかし、21歳の時に「CHUCKY」は解散ることになります。
バンドメンバーから、「仕事もあるしプロにはなるこを望んでいない」と告白され、就職していいたメンバーからは、メジャーデビューなど全く望んでいなかったのです。
東京に行く
プロになるために東京に行く決心をします。
当時の雑誌のインタビューに「私、上京する時、家出同然で地元を出てきたんです」と母親との約束を破っての上京でした。
2009年の元旦に、東京に住む場所も決めた後、賃貸を契約するための保証人が必要で「賃貸契約書」に印を押してほしいと母親に言います。
「東京で家を決めてきたから明日から東京いくわ」と突然言い、突然の宣言とアパートの契約書で当然、母親は反対します。
いきなり私の目の前に正座をして「20年間育ててくれてありがとうございました」
「私は東京にいきます。」
「だから契約書にハンコ押して!」と言われ
はい、わかりましたと印鑑押して「いってらしゃいなんて言えるわけがないじゃですか!!」
しかも事後報告
お母様アンケートより
伝えたのは出発の前日で、母親は承諾するはずはありませんでした。
そして母親との約束がありました。
中学校2年生の時に、沖縄に転校してまで通ったダンススクールを辞める際、岐阜に戻る時の約束がありました。
「もう音楽やらないって約束しいや」
「自分でやると決めて3年もやったのに、帰ってくるんやったら普通に仕事しごとするって覚悟きめて帰ってきいや」
と約束し、二度と音楽の道は目指さないと母と約束したのでした。
母親は沖縄に行くお金も貯めて頑張ってくれていた姿を見ていたのですが、振り返るとLiSAさんは音楽しかしていないと感じ、音楽の道に進むことになりました、
LiSAさんデビュー前の自宅
LiSAさんは、母親の反対を押し切って家を出ていくことになります。
当時、住んでいたのが「新宿区にある高田馬場」でした。
コチラが自宅付近の画像です。
そして練習スクールにも通っていました。
「GATEWAY STUDIO」高田馬場フェイズ店になります。
練習スタジオでメンバーを募って、バンドを結成します。
インディーズで音楽活動をしながら、デビューのチャンスをうかがっていました。
しかし、夢はあっても現実は厳しく、生活は極貧でした。
上京前に貯めた100万円は引っ越しやスタジオ代であっという間に底をつき、家具も買えず、部屋には布団とダンボールだけでした。
- おかずも100均で買った「なめ茸」のみで1カ月も食べる
-
コインランドリー代を節約のために、服を洗うのも洗濯板
夢のために、とても貧困生活を送っていました。
朝の8時から22時まではアルバイトをし、22時~早朝4時まではバンド練習をする毎日でした。
睡眠時間は4時から7時までの毎日3~4時間でした。
とても過酷な日々を送っていました。
それでも、デビューの糸口が東京ではみつからず厳しい生活をしていました。
LiSAさん母親とエピソード
家出同然で、東京に一人突然出ていったLiSAさんですが、母親から和解するじょことが出来ます。
ある日突然、母親からの電話があり、何事もなかったのように明るく接してくれ和解することになります。
その当時の母親の気持ちはコチラ!
私も最初は「向こうからなんで電話してこんのや」って意地を張っていましたけど、「自分の子を信じる」って原点をいつの間にか忘れていたよなと自覚して
「あぁ、娘を応援するのは私しかいないな」
「あんな世界にこうまでして入って頑張っている娘を私が支えないでどうする」と反省したんです。
連絡してないことの方が苦しく、仕事していても苦しくて、病気になると思いました
お母様の気持ちもとてもわかる気持ちがしますね。
心の底から母親は子供のことを思ってますね。
こうして、母親の許しを得ることが出来ました。
母親の大切言葉な言葉が座右の銘
母親の許しを得たLiSAさんは、モデル、グラビアなど何でもいいと思い、片っ端から応募をしていきますが、落選の日々が続きした。
そんな中、母親の大切な言葉を想い出します。
母に内緒で必死でアルバイトをして帰宅し、自分の部屋に疲れきって入ると、なぜか母親がLiSAさんの部屋で待っていました。
母親の言葉
母親が今日もいい日だ!って言ってみいや
毎日いい事は絶対にあるんや とりあえず今日もいい日だ!って言ってから毎日寝るんやよ
とLiSAさんに言ったのでした。
その時には深く母親の言葉を考えていませんでしたが、過去にインタビューでこんなことを語っています。
思い返すと、ずっとお母さんに、「一緒に幸せ探しをしよう」と言われてた気がする
子供の頃から、スゴく幸せを見つけるのが下手でした。
だから多分、母親は「今日もいい日だ」という言葉を渡したと思う。
とも語っていらっしゃいます。
何かしら、悩んだりイライラしたり、毎日いきてりゃ色々あって普通!
きっと、その時は落ち込んだ顔をしていたのではないか
そんな娘に一声かけようと思った時にふと出た言葉が「今日はいい日だ」だっただけです。
とお母様は答えていらっしゃいます。
LiSAさんのブログの下には、母親の伝えてくれた言葉「今日もいい日だ」がいつも書かれています。
母親は美容師で父親とは離婚
LiSAさんのご両親は、離婚されています。
両親と妹、祖父母と暮らしていましたが、LiSAさんが6歳の時に離婚されています。
父親が家を出ていったそうです。
幼い頃からたくさん習い事をしました。大事に大事に育ててもらいました。6歳で父がいなくなって、人を信じること。が無意識に苦手でした。必死に働く母を横に、素直な気持ちを話す。ことが苦手でしたブログ:https://ameblo.jp/lxixsxa/entry-12281058769.html
こちらが、LiSAさんのブログに掲載されていた実家になります。
なんと築30年の実家で夜にはいつも星空が見えるようです。
こういう広々とした自然の中で育っています。
母親は美容師
LiSAさんの母親は美容師をされています。
お母さんは離婚後に、知り合いの美容院で下働きをしながら、資格を取るための学校にも通っていました。
現在は、ご自分で店を開業した時に、店長になっています。
女で一つで育ててきた母親は立派で、LiSAさんも一番大切に思っていることだと思います。
これからも活躍を応援していきたいですね。
まとめ
LiSAの生い立ち!幼少期からデビューまで母親とのエピソード
ご紹介させていただきました。
LiSAさんの「今日はいい日だ」にも意味があり、この一つの言葉がLiSAさんのデビューからの支えになり、現在があるのだと感動しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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